大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)366号 判決 1977年3月28日

控訴人

高木一男

右訴訟代理人

高田利広

外一名

被控訴人

高旨富雄

外二名

右三名訴訟代理人

山田茂

外一名

主文

原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、原判決の事実欄の記載と同一(ただし、原判決二丁裏七行目の「高木」を「高旨」と訂正する)であるので、これを引用する。

理由

一被控訴人らの身分関係、控訴人が内科医を開業する医師であること及び控訴人の診療経過、亡初子の病状は、左記訂正部分のほか原判決の認定のとおりであるので、その理由(原判決一二丁表二行目冒頭から同一四丁裏八行目末尾まで)をここに引用する(ただし、原判決一三丁裏九ないし一〇行目のかつこ内の部分を削り、同一四丁表末行「癌である」から同裏一行目「たので」までを、「癌の疑いが強まつたので」と訂正する)。

二診療契約の成立について

健康保険法に基づく保険給付は、保険者である政府及び健康保険組合が被保険者及びその被扶養者の疾病又は負傷に関して療養の給付をなすものであるが(同法二二条、四三条、五九条ノ二)、療養の給付を受ける被保険者らはみずから医療機関を選定することができること(同法四三条三項)、当該医療機関に対し医療費の一部を負担して支払う義務を負うこと(同法四三条ノ八)、保険診療開始後、当該医療機関において保険診療による療養の給付では支給できない薬剤ないし治療材料を使用する必要を認めた場合、いわゆる自由診療への切替えが行なえること等を併せ考えると、健康保険制度を利用して医療機関の診療を受ける場合でも、医療機関である医師と患者との間には、私法上の診療契約が成立しうると解するのが相当である。健康保険制度を利用した場合の医療関係は、そのすべてが公法関係に吸収されてしまうものではなく、当該医療機関が保険者に対し公法上の義務を負担することから、控訴人主張のように医療機関である医師と患者との間に、私法上の診療契約が成立する余地がないと断ずべきではないと考えられる。

本件において、初子が控訴人の本件診療を受けるにあたり、東京小型自動車健康保険組合の健康保険を利用したことは当事者間に争いがないが、前記引用にかかる原判決認定の事実によると、昭和四五年一月二四日初子と控訴人との間に私法上の診療契約が成立したものと認めることができるので、控訴人は右契約に基づき初子に対しその当時における医学の水準に照らして適切な診療行為をなすべき債務を負担したというべきである。

三控訴人の契約責任及び不法行為責任

被控訴人らは、控訴人が胆のう癌を早期に発見していれば手術を施すことにより初子の死の結果を免れることは不可能でなく、仮に胆のう癌による死の結果を回避できなかつたとしても、控訴人の誤診により初子の死期が早められたと主張するので、以下この点について検討する。

(一)  昭和四五年三月四日亡初子に黄疽症状の発現する前の段階において、控訴人が被控訴人ら主張の検査をする等の処置をとらなかつたことが、控訴人の債務不履行といえないことについては、当裁判所の判断も原審のそれと同一であるから、この点に関する原判決の判示を引用する。なお、右引用の事実関係からすると、右の点につき控訴人に不法行為上の過失も認められないというべきである。

(二)  前記黄疸発現後の処置について

控訴人が右昭和四五年三月四日の黄疸発現後においても亡初子の症状を胆石による閉塞性黄疸と考え、従前どおり胆汁分泌促進剤の投与等の治療を継続したことは前記引用の原判決判示のとおりであるが、<証拠>によれば、いわゆる閉鎖性黄疸の事例のうちでは胆石によるものが極めて多く、また激痛を伴うものは通常胆石によるものと考えられているところから、控訴人は、本件黄疸も胆石によるものと考えたが、その治療方法として、肝臓疵護剤の注射とともに、胆汁とともに胆石の流れ出ることを期待して胆汁分泌促進剤の投薬を続けたこと、しかるに黄疸は一時解消するようにも見られたが、軽快しないので、控訴人は同月一九日初子を辻本外科病院に転院させる手続をとつたことが認められる。そしてその後の経過は、前記引用の原判決記載のとおり、右辻本病院で諸検査が行われた上、同月二三日さらに東京警察病院に転院させられることとなり、同年四月六日同病院で開腹手術が行われたものである。右事実によると、亡初子に黄疸が発現してから控訴人が転院の処置をとるまでに一五日が経過していることになるが、その間控訴人において、後に辻本病院で行われたような検査をしなかつたことは原判示のとおりである。

右の事実に基づいて考えるに、控訴人が一応胆石の流出に期待して胆汁分泌促進剤投与の方法を続けたこと自体は誤つた治療方法と断じ難いけれども、本件の事例が、胆石によるものとしても右方法による胆石の流出を期待できないものでないか、あるいは悪性腫瘍その他胆石以外の原因によるものでないかを周到に検討し、これらの場合にも時機を失せず対処するための配慮において欠けるところがなかつたかは、なお検討を要するものと考えられる。そして初子の病状に不安をもつ夫富雄から控訴人に対し精密検査の要請があつたことは原判決認定のとおりであり、前記経過に照らせば、右の要請はもつともなものであつたと考えられるのである。

以上の諸点からすると、黄疸発現後約一五日間というさほど長くない期間の問題ではあるが、この間前記検査等に対する配慮をしないで、従前の治療をそのまま続けたことには問題があり、少なくとも結果的に見る限り、前記転院は遅きに失し、控訴人の診察上の処置に不手際があつたとの非難は免れないと考えられる。

そこで、右につき控訴人の法律上の責任の有無を考えるにあたつては、右にいわゆる不手際について、(イ)それが現代医学の水準に照らし医師に要求される診療契約上の義務違背、もしくは不法行為上の過失に該当するか、(ロ)これと初子の死との間に因果関係があるか、もしくは、これが死期を早めるという結果をもたらしたと認められるか、が検討されなければならないが、以下にまず後者について判断する。

(1)  訴外初子が昭和四五年五月八日胆のう癌全身転移のため死亡したことは、引用にかかる原判決認定のとおりであるが、<証拠>によると、胆のう癌は、それに特有の症状は顕われにくく、早期に発見することは極めて困難であり、しかも転移の早い癌であつて、通常根治するには胆のうを切除しただけでは不十分でさらに広い部位にわたつて切除することを余儀なくされ、黄疸が胆のう癌の発生後どの段階で発現するかは不定であるけれども、黄疸の症状が出て胆のう癌の疑いを持つことができる段階では、既に病状は相当に進行しているので、現代医学の水準ではこれを治癒させることは殆んど不可能であることが認められる。

そして、<証拠>によると、胆のう癌の発生時期は開腹手術の所見による推定も不可能であり、本件においてもその時期を断定することはできないが、少なくとも初子において本件受診の端緒となつた腹部疼痛を自覚した昭和四五年一月中旬頃には既に胆のう癌に羅患していたと推認され、本件においても黄疸が出た段階では既に相当に進行してしまつていた(なおこの点については後記(2)でも触れるとおりである)と認められる。従つて、控訴人が、初子に黄疽が発現した時点において遅滞なく転院させ、胆のう癌の発見が早くなつたとしても、これによつて初子が死の結果を免れたと断ずることはできず、結局前記控訴人の診療上の不手際と初子の死との間に相当因果関係は認められないというほかない。よつて控訴人に右死亡による損害賠償の義務があるとはいえない。

(2)  次に前記控訴人の診療上の不手際が初子の死を早める結果を招いたかどうかであるが、まず、控訴人において前記黄疸発現後遅滞なく転院の処置をとつていたとすれば、特段の事情の認められない本件において 転院後本件と同様の経過を辿るものと見て、初子の手術は最大限一五日は早く行われ得たと考えることができる。

そこで次に右の程度の手術の時期の差によつて死亡の時期に差が生じたかどうかを判断すべきであるが、本件のように死の結果を免れなかつたといわざるを得ない場合であつても、もし、診療行為が適切に行われたとすれば、死を遅らせることが可能であつたであろうということは一応の推論として想定できないことではない。ただかような死期の差を具体的に確定することは通常極めて困難であり、死期について、例えば数日というような短い差を生じたどうかを問題にすることは、通常の場合医学上解明困難というほかないと考えられるが、不適切な診療の結果、かなりの期間死期が早められたという特段の事実が肯認できる場合には原判決の説くように、これに伴う精神的苦痛につき法律上の責任を問うことも可能であると考えられる。

しかしながら、<証拠>によれば胆のう癌の発生時期、その進行の経過、転移の時期は開腹手術の所見によつてもこれを推認することは不可能に近く、本件においてもこれらの点は明らかでないことが認められるので、前記最大限一五日の処置の遅れが死期についてどのような差を生じたかを判定することは極めて困難というほかなく、さらに、前判示の胆のう癌の特性と症状の進行を止めるために、実際にとり得るどのような方法があるかを考えるとき、死期を遅らせることが可能であつたとの判定には多大の困難が加わることを認めざるを得ない。

しかも、本件において、前判示のように黄疸発現当時初子の胆のう癌は既に相当の進行を示していたものであり、<証拠>によれば、昭和四五年四月六日の本件手術時の所見によると、初子の病状は原発部位たる胆のう部分のほか、転移部位である総胆管はひと塊りの堅い腫瘤を形成するに至つており、頭部も右に近い状況であつて、胆のうが原発病巣であるかどうかも一見しては判然としない程であり、既に肝臓への転移も甚だしく肝臓全面にわたつて腫瘤が存し、なお、手術の範囲外の部位は直接の所見による判断はできなかつたが、肺にも転移していることが窺われ、もはや治療方法のない状態であつたばかりでなく、閉塞している胆道系の代りにチユーブにより胆汁を通すという一時的な手当も全くできない状況であり、開腹後なんらの施術を行うこともできずに縫合したことが認められるので、右の状態からすると仮にこの開腹手術が一五日早く行われたとしても、効果的な延命の措置をとり得たかどうかは疑問とせざるを得ないと考えられる。

以上の点を総合して考えると、本件において仮に手術の時期が一五日早められたとしても、これによつて相当期間の延命を齎らし得るような措置がとられ得たと認めることは困難といわざるを得ず、結局前記控訴人の不手際のため死期が早められたとの点については訴訟上の証明がないというほかない。それ故これを前提とする被控訴人らの請求は理由がないといわざるを得ない。なお、本訴請求が、控訴人の不適切な診療行為自体につき、結果発生の如何を問わず損害の賠償を求める趣旨を含むとしても、そのような請求は認め得ないと考える。

四むすび

患者が医師の診療を受けるにあたつては、罹患している疾病が死を免れないものであつても、最後の瞬間まで適切な治療を受けることを求めるのは当然のことであるが、以上述べたとおり本件における控訴人の診療上の処置には適切といえない点があり、その上初子において被控訴人富雄を通じてなした精密検査の要請も容れられなかつたのであるから、被控訴人らが本訴提起に及んだ心情は十分に察せられるところであるが、本件は胆のう癌という不幸な病気によつて齎らされたものであり、右病気の特異性と現代医学の水準を前提として控訴人の法律上の責任を問い得るかの問題を考究するときは前述のような結論とならざるを得ない。

よつて、右と結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(安岡満彦 山田二郎 堂薗守正)

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